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俺と法事とアップデート

 先日親類の法事がありまして。私も一応仏教徒ってことになるんでしょうが,信心深い方ではないんで見よう見まねでなんとか粗相の無い様にしておりました。新宗教ではなく,庶民的とされ普及している某宗派です。

 でまあ法事なので坊様がお経を唱える訳ですがその前に「これから読むお経に繰り返し出てくる○○○という言葉はこれこれこう言った意味である」「そもそもお経はお釈迦様が居られた外国の言葉で書かれており,その音にそのまま漢字で当て字しているので字面だけ見てもしゃーない」と言った趣旨の説明があって『はあ,さよか。』と。(私がこういうことかと理解した内容をざっくり書いてるだけで,一字一句この様な物言いではありませんので念のため。)

 法事が進み今度は「これから読むのは開祖から数えて何代目,室町時代の何とか言う偉い坊様が『お経は外国語で書かれているからそのまま読んでも一般衆生には理解出来んだろう』と,お釈迦様の教えをわかりやすく日本語の話し言葉で説いた物である」旨の説明があり『なるほど,そりゃそうだ。』と。(私がこういうことかと理解した内容を(以下略)

 しかし幾ら話し言葉でわかりやすくと言っても室町時代から4~500年経てば日本語も変わってすっかり古典になり現代の我々には結局理解できない訳で。そりゃまあ元のお経と比べればなんとなく意味はわかりますがその室町時代の偉い坊様の本来の趣旨からすればこれも時代に合わせて随時アップデートせにゃならんのでは,と思っていたら現代語訳の紙が配られまして。でも読み上げるのは室町時代の古典。いいのか。これでいいのか。

 で,ふと『ああ,こういった方針の違い等々で宗派が分かれたりするのか』と気付きました。今気付きました。教えの趣旨が変わらん範囲で臨機応変にアップデートしなきゃちゃんと伝わらんだろ派と何言ってんだ一字一句弄るんじゃねーよオリジナルこそ至高に決まってんだろ派とか。ちょっと考えただけでも何を以て趣旨が変わらないとするか,何を以てオリジナルとするかの辺りが地雷臭プンプンでスゲーめんどくさそうですが。

 そう考えると過去から受け継がれたモノはそのまま受け継ぎつつ実態に合わん所は随時アップデートした資料で補うと言うのも現実的な対応なのかなーと思った次第。仏教やら古典やらに限らず,全く畑違いの技術屋として十ン年務めた経験からも似た様なケースが幾つも思い当たるのでこれは日本的な対応なのかもしれない。おいそこ,場当たりとか言うな。


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